MATRIX(マトリクス)っていう映画がありましたね。

キアヌが後ろにのけぞって両腕を回しながら弾丸をよけるやつね。

マトリクスというのは「行列」です。縦と横に規則正しく並んでいる状態を言います。

もともとはラテン語で「子宮」を意味する言葉が語源で、なにかを生み出すものという意味があります。

何かを生み出す縦と横のつながり。これがマトリクスです。

先程、街中でふと見上げたらこんな景色がありました。この景色をみているとマトリクスと言う言葉を思いだしたんですよ。

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人間は目の高さ、すなわち1メートルから2メートルの高さで生きています。見上げたり下を向くことがありますが、時間的にはごくわずかです。

高層ビルに上がっても、基本的にその何十何階かのフロアの高さが基準(ゼロ)となってものを捉えます。でも、本当はそのフロアはゼロではなく地面がゼロですから、そのフロアに立つ自分はすごく高いところにいるわけですが、そういう感覚を持つ人はあまりいません。それは、人は地面に立った時の目線の高さで安心するからです。

実はすごく高いところにいるのに、まるで地面に立っているかのように「錯覚」して、そして「安心」して、人は生きています。東京タワーの透明フロアに立つと足がすくむのは、その「錯覚」が崩れるからです。

僕はスクーバダイビングをします。これでもPADIのプロです。

スクーバをしていると、このゼロという感覚が曖昧になります。

数百メートルも落ちこんでいるドロップオフの縁。水深20メートルくらいのところで上を眺めると、キラキラと光る水面が見えます。そして下を見下ろすと、まさに引きずり込まれそうな暗いブルーが広がります。(実際、下に向かって流れがありますから、油断すると、スーっと5メートルくらい引きずり込まれます。20メートル程度のダイブでこのプラス5メートルは、娯楽目的のダイブではちょっと危険なんです。詳しくはまた・・・)

そんな、天国と地獄の間で漂っているような何とも言えない浮遊感を味わうと、ゼロの基準という概念がどうでもよくなってきます。そして、ゼロの基準は単に自分が勝手に作り出しているのだと言うことを悟ります。

あれ?

話がそれましたね。

マトリクスに戻ります。

画像のビルは縦に広がっています。そして、それが建つ地面は横に広がっています。

つまり、人が住む街というのは、縦と横のつながりで成り立っているわけです。

東京など大都市の場合、高度な横のつながりがあり、それをベースに何本もの高層ビルという縦のつながりが加わり、そのマトリクスは「高度に組織化された生物体」のようだと僕は感じます。

その縦と横に広がる洗練された高度なつながり構造の中で人は生きているんです。

そして、多くの人はそのマトリクスを意識することなく、「安心」を確保するために基準を勝手に作り出して思い込み、自分の感覚優先で生きているんです。

でも、ちょっと視点を変えると色々なものが見えてきます。

街の作りは縦と横のマトリクスであることを意識し、高さの基準は「相対」(自分の「錯覚」)ではなく「絶対」(たとえば「海抜何メートルか」)を意識するんです。

壮大な気づきが生まれ、新しい感性の扉が開きます。