コインを投げて、表が出る確率はいくつですか?

それは2分の1(50%)です。

サイコロを振って1が出る確率はいくつですか?

それは6分の1(約17%)です。

では、あなたが幸せになる確率はいくつですか?

数学的にはたぶん50%ということになるのですが、これが厄介なのです。

実は、人が幸せになる確率は、人によって異なるのです。
「山あれば谷あり」とか、「苦あれば楽あり」って言いますよね。要するに、人生悪いことばかりじゃない、悪いことがあったらいいことが必ずやってくると言うことなのですが、本当にそうでしょうか?

一生幸せに生きている人、いますよね。反対に、どうしてこの人だけこんなに、、という位、苦労ばかりの人もいます。

もちろん、何をもって幸せというのかという問題がありますが、ここでは、客観的に幸せと考えられる条件にあることを幸せとしておきましょう。

人によってかなり偏りがあると思いませんか?

美輪明宏さんは、死ぬまでの幸と不幸はバランスしてゼロになると言っていますが、僕はそうではないのではないかと思うのです。

幸>不幸 もあれば、幸<不幸 もあるのではないでしょうか。

それが現実なのに、人は安心するために、「苦あれば楽あり」とか人生の幸不幸はバランスするとか、そういう宗教的理屈を発明したのだと思うのです。つまり、幸せになる確率は50%だという理屈です。

こういうのを「ギャンブラーの誤謬」(ごびゅう)」と言います。ルーレットで、ずっと黒が出てるから、次は赤が出るだろう、と考えることです。

ずっと不幸なことが続いたから、次は幸せなことが起こるだろう、と考えること。これは誤りです。

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ただ、地球上の水の量が増えたり減ったりしないのと同じで、地球上の幸せの量は一定ではないかと思います。

ちょっと非科学的ですが、そう考えればいろいろつじつまが合うのです。

たとえば、ある場所で貧困に苦しむ人あれば、あるところでは贅沢三昧する人がいます。

これをゼロサムゲームと言いますね。

幸せは地球全体のゼロサムゲームの対象なのです。

国際政治は、このゼロサムゲームを理解して、最適な配分を実現するための工夫なんですね。

幸せってそういうものですから、人という単位で見ると、人によって手に入れる幸せの量にはばらつきがあるのです。

だから、あなたが幸せになる確率は50%ではなく、もしかしたら80%かもしれないし、反対に30%なのかもしれないのです。

幸せ論議は別の機会に続くとして、確率の話に戻ります。

飛行機事故に遭う確率って知っていますか?

ある統計によると、それは毎日飛行したとして438年に1回だそうです。つまり、159,870フライトに1回と言うことです。

もしこれを飛行機に乗る人みんなが信じるとすると、自分の人生は438年より短いのだから、自分が生きている間に毎日飛行機に乗っても飛行機事故には絶対遭わないという事になるのですが、不幸にして現実はそうではありませんよね。

初めて飛行機に乗って事故に遭われる方もいます。一生事故に遭わない方もいます。

宝くじだって、初めて買って当たる人がいれば、買い続けているのに全然当たらない人もいます。

これが確率の生む誤解です。

コインをトスして表が出るか裏が出るかを言い当てるというゲームを10回やるとしましょう。確率が50%だからといって5対5の引き分けになるとは限りません。何万回も続ければ、勝つ確率は限りなく50%に近づくでしょうが、この単純なルールのゲームを10回程度やったくらいでは偏りが生じるのです。5対5かもしれないし、9対1かもしれないのです。

だから、世の中を、人生を、すべて数学的確率で考えると間違えます。

確率とは、未知なもの、不確実なものに対して無力な人間が、自らを安心させるために考案した道具なのです。

日々感謝し、人に優しくあり、心を清らかにして、非科学的な何かが働いて幸せになる確率が上がるのを祈るくらいしか、人間にできることはありません。でも、その気持ちを持ち、人事を尽くすことが一番大切なのです。

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